〜葡萄色の夜明け〜
「父の遺言書」と「私の遺言書」…
昨日のブログの冒頭でも触れましたが

母が4歳で亡くなり、以降「一直線しかない愛情」を注いでくれた父。

私は小学校4年生の時、母の仏壇の中からあるものを見つけました。




「ん?手紙?」

読み終わった後、怖くて怖くて、大号泣しました。

父の「遺言書」でした。

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突然、父が居ない場所に放り出されたような感覚になり

独りぼっちのこわさを感じ、

手紙を握りしめ、一目散に父より先に仕事から帰ってきた真ん中の兄のもとへ

母がなくなってから、食事の支度もしてくれて

物腰のやわらかな「母」のような存在で、私は真ん中の兄が一番好きでした。



「ひろちゃん。パパ。こんなん書いてるねん。」

「パパが死んでしまうねん。」



いつも通りの優しい口調で「そうか。大丈夫やよ」と

そんな風な事を兄から言われたみたいですが

初めて経験するような、喪失感と恐怖感を拭えないままの私。

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ようやく父が仕事から帰宅。

ホントは駆け寄って聞きたいけれどなかなか聞けず、ようやく



「ねぇ。パパ。。これなに?何でこんなの書いてるの?」

「パパ、、、死ぬの?」




硬く詰まった胸から、必死で何かをこらえ

そして、押し出す様に言葉を発していたのを覚えています。



すると父は私に微笑みかけて

「Akira。これは生きてる人の責任なんやよ。」

「お母ちゃんが死んでから、パパは毎年これを書き変えてるんやよ。」

「死なない人はいいないやろ?」



今でも記憶に在る文章は

「Akiraのことが一番気がかりだ。兄弟3人で、どうかのびのび明るく育ててやって欲しい。」と。

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皮肉にも、その後の我が家を待ち受けていたのは

思春期に母を亡くし、厳しい父の傍らで震えていたギタリストの兄がその道を断った事でした。

母が亡くなった影響を一番受けたのは「私」ではなく「一番下の兄」でした。



そこから私の人生が大きく変わるのですが、その話はもう前にさせていただきましたよね?

父が遺した「遺言書」

父からきちんと説明を受けて、ようやく納得して、安心した私。

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(私と娘の事を、365日綴り続けた父の最期の日記の文字)


母亡き後、父の愛情だけで十分すぎるほど愛されて育った私。

周りの人がいくら「かわいそうねぇ。お母さん亡くなられて」と。

足りないものなんて、何一つありませんでした。



けれどふと

「私が母から欲しかったもの。」が自分の胸にいつかしらかぽっかりと浮かびました。



「母と話をしたい。」

「こんな時、母ならどう言うのだろう?」

「母はどんな性格だったのだろう?」



父や兄が、やたら褒めちぎるその母の様子とは別の「母の顔」

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ねぇお母ちゃん。

兄たちはこぞって「お前はお母ちゃん似だ」と言うけれど、ホントはどうだったの?



「笑っていても寂しい時はあったの?」

「誰かを憎んだ事はあったの?」

「どんな時に怒ったの?」

「あなたが一番幸せだと思う時は誰と居る時?」



今の私が、もし娘に同じ質問をされたならこう言うでしょう。

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「笑っていても寂しい時はあったの?」


そうよ。人間は寂しいものよ。

だけどね?笑っていると太陽が味方をしてくれるのよ。

これまでずっと温かかったから。

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「誰かを憎んだ事はあるの?」


いいえ憎んだ事はないわ。

憎しみはやがて自分を食らい尽くしにやって来るから。

食べられるのはごめんだからね。(笑)





「どんな時に怒ったの?」


怒るって相当なエネルギーが必要で、ひどく消耗するでしょう?

だから出来れば避けたいけれど、大切な人にならその力を使えるわね?

そう言えば、怒って血を吐いて2ヶ月も入院したわね?

「切れた数本の胸の血管をカテーテルで修復。」なんてお母さんだけね。

分かったわ。上手に怒れないから怒らないんだわ。

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「一番幸せだと思う時は誰と居る時?」


あなたと居る時はいつでも涙が出るわ。

泣かないけれどね。

お父さんと居る時は、これまでの道のりをいつも愛おしく思うわね。

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病気になった時から、苦手なブログを始めたのは「自分を克服するため」だったけれど

次第に「娘に遺したいこと」が沢山出てきました。



色んな出来事を包み隠さず書いてきたのも、

心の一直線上には、いつも愛しい輝きがありました。




「お母さんならどうやって言う?どうやって考える?」

いつかきっと聞きたい時がくるから。

思った事を口に出さない娘の性格なら尚更。

まー。これもDNA(笑)

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私よりも11歳年下の相棒。

普通で言えば、私が先に逝くのでしょうか?

けれど



「私の最期を看取るのだけは絶対嫌だ」そうです。(笑)

そうよね?

私もその時の彼の様子を思い浮かべただけでも

自分が「大罪人になった」気持ちになります(笑)

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2人の間の約束は

「私があなたの最期を傍でしっかり看取るからね。」

「私がいっぱい泣くからね。」



「だから今を一緒に生きて行こうね。」



最期を記すものではなく、今を記すもの。

愛しいあなたたちが、どうか優しい心で着地出来ますように。

これからも私の「遺言書ブログ」はつづきます。

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この記事へのコメント
1388. どんぐり博士   URL  2015/10/17 14:59 [ 編集 ]
兄ちゃんは、家族みんなを看取ってからじゃないと死ねないそうです。(子供達が言ってた)
だから
130歳くらいまでは、最低でも生きなくては・・・(笑)
3年日記も4年目に突入し、まだ、続いております
1389. かのん   URL  2015/10/17 17:13 [ 編集 ]
この遺言書をみてほっこりしたり
ジィーンとしたり、これからも長く長く永く
書き綴ってね。相棒さんをおいていかないように。
想像しただけでも泣けるわ
1390. ぼぉ~の。   URL  2015/10/18 20:47 [ 編集 ]
これからも書き綴って、歌い続けてってね。
愛がてんこ盛りのこの遺言書を。
1391. ☆ぼぉーちゃんへ   URL  2015/10/21 08:38 [ 編集 ]
うんうん。ありがとう。
沢山の事をどんな風に表現するかは個人に与えられた自由だから、有り難く使わせてもらおうって思ってます♡
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ようこそAkiraのときへ

















このブログの主題歌を作ってみました。
「La Douceur」
〜葡萄色の夜明けの唄〜



作詞・作曲・編曲・唄:Akira





「果てない感動」

「ギタリストの兄の旋律」に纏われ過ごした子供時代。
自身の分身を産み出すように
押し寄せる波のように
「激しいまでに美しい音色」が
いつも私の耳元で鳴り響いていた。
その音色はまさに「天に届くもの」

IMG_7929のブログ

作詞をする。
作曲をする。
アレンジで風に色をつける。
風をまとい、歌い響かせ昇天する。

亡き父が愛したカメラの世界。
感じる。
動く。
焦点を定める。 息を止め、シャッターに触れる指先。

ブログヘッドデザイン原本 のコピー

最後の時計が止まる瞬間まで、愛おしさに焦点を合わせ続けた父。
大切なものを守る為には、他を捨て去る事に何のためらいも無かった父。

「一瞬たりともぶれない焦点世界」

私が愛してきた音楽と同じ。
父亡き後、その世界へと歩き出す。

写真を撮るのは、歌を唄うのは

「あなたがいるから」
「あなたがいたから」

「この愛がすべて」そう響かせて。

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「Akira」(アキラ)歌と共に

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シンガーソングライター、
アレンジャー、
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